寂しいという感情は誰かに出会うためにある
「寂しいという感情は誰かに出会うためにある」
あるドラマの有名な一説である。
たしかに、「寂しい」は人肌を探しに街へ出るきっかけになるのかもしれない。
その時の寂しい感情は誰かといることで紛らうことは大いにあると言える。
ただ「寂しい」と「寂しい」が結びついているということに気づきせず・・・
そう、わたしたちは「寂しい」から逃げることはできない。
寂しい感情の壺に早くからハマり、長い時間「寂しい」と時間を共にすると寂しいは簡単に私たちを手放さない。そして私たちも手放すことを恐れるようになる。寂しいさんは、人肌という麻薬が体から抜けた時に、「おかえり」と現実を見せてくるものなのである。
寂しいという本来の現実から目を逸らすために誰かを探すのであれば、
わたしは寂しいと共に一人で歩き続けたい。
もしくは寂しいを手に入れてからの年数が同じくらいの人と居たい。