暖かく生きたい生存日記

執筆/エッセイスト/心理学/ アダルトチルドレン/旅行/小さな幸せ/

焦燥感なんていらない、ただ一生懸命でいたい

学生を卒業してからはや5年…

 

受け身で良い学生一筋と違い、

すでに持っていた焦燥感がより大きくなった状態で毎日生きている。

正直何について焦っているのかはわからない。

でも毎日生きることを更新し続けることが私にとっての焦りの要因。

私は周りと同じように「ただ生きる」ことができない。死に向かって生きることに不安しか感じていない。自分が成し遂げなければならないものが何かある気がして、でも何もしたくなくて結局人間は「死」に向かって生きているのだが、私はその意味をなさない人生にただ焦りを感じている。

 

当たり前の幸せに感謝し得ければならないのは重々承知していて、

当たり前に何でも食べられる環境や家があること、そして家族がいること。

でもきっとそれよりも年を重ねるごとに周りからの期待や価値がなくなっていくことに恐れを感じているのかもしれない。自分の価値は自分で決める、自分らしい生き方をと誰よりも推奨している私が誰よりも他人からの価値や目線を気にしているのかもしれない。それはただ自分を認めるとか自分を愛すという方法がわからないから。自分のことは嫌いじゃない、でも他人からのわかりやすい評価に頼ってきたのは事実で、一社会人として社会に放出されたとき、「自分の居場所」「自分という肩書き」を自分の力だけで作らなければならないこの状態が不安で仕方なく何もできないでいる。

 

結局自分のことがわからないまま大人になってしまったのだ。

当たり前に求められる生産性。が私には苦しい。

だからと言って周りに流される空気のような自分にはなれない。

 

「意志」という言葉だけが自分を苦しめている。

誰にも囚われたくない、だけど責任のない暮らしは楽なようで寂しい。

朝になると人に怯え、夜になると早く「無」の領域に行きたくなる。

何をしていてもどこにいても、きっと私は自分から逃げたくなる。

自分という存在をい切れていない自分が可哀そうで嫌いで、でも心は「怖い怖い」と嘆いている。

 

 

仕事してお金もらって美味しいもの食べて好きな人に夢中になって家族を作って、「それで良い」と思う時が来るのだろうか。思いたいけど思ってはいけないと感じている自分もいて複雑にしている自分に嫌気がさす。

 

人生はシンプルだ。目の前の欲求に従っていい、

その繰り返しで私はどこに行っても幸せなんだという自信が必要だ。

 

私はただ、「一生懸命」に生きている人を見ると美しく涙が出てくる。

わたしもなりたい、あなたたちのように自分の行動を信じて生きたい。

失敗してもいいから一生懸命生きるあなたたちのようになりたい。

もう何にも焦りたくない。

「人生」という道を疑問なく歩きたい。

 

人生を、そして幸せを複雑にしないことが一番の近道なのかな。

まだまだきっと生きてるうちは迷路の中、受け身ではきっとずっと迷宮入り。汗を感じる美しさが憧れる、強く成りたい。