どんなときも奥底で泣き叫んでる心
大人になって気付くことがある。
とっても幸せな時間で、
とってもリラックスしていて、
とっても大きな声で笑っていても、
私は芯の奥深いところで、
ずっと大きな声で泣き叫んでる。
表には出てこないし、
言葉にできない感情がいつも喚いている。
だから少し嫌なことがあったり
不快な出来事に遭遇するとすぐ引っ張られるが、
その心の芯を保護するために極端なほど喧嘩早く、防衛本能が強い脳みそが発達し、持っている感覚もある。
▷今語っているのは、完全に"脳と心"が別々である前提の話。きっと共同体である考えの方が多いし、共同体なのだと思うけど、自分にはどうしてもその理解が難しい理由の話。
どんなときも寂しい心、泣いている心を抱えている自分が「死にたい」を手放す方法が分からない。どうして自分がずっと泣き叫んでいるのかも分からない。頭ではこんなに恵まれた毎日なのに、根本的なそんな自分の心の主張が分からない。
でもきっと、分かっていた頃もあったのだろう。
大切な時期に、気付かないように頭で抑えつけて来たから今こうゆう大人になったのだろうなとも思う。
この前鬼滅の刃にも出てきたけど、どんな時も極端に脅えて大声で泣いてる鬼。そうゆうアニメキャラよくいるけどそんな感じ。なんて不幸な生き物なのかと思う。私の場合は芯だけだから表には出てこないのだけど。
一方でわたしとは逆に、周りには心がいつも笑っていて"楽しい"がベースな人間が溢れているようにも感じる。
キツい経験や言葉にするも大変な毎日を送っている人たちも、心の奥底の芯というベースが元気に笑っているから、思考でナイーブになってもショックな出来事だと説明出来ることが起きても、不快な状況に遭遇しても、「生たい」と無意識に心が思い続けていられるのだろう。と
羨ましい。
例えば、
どんなに暗くてしんどい物語でもBGMはポップでリズミカルな映画とどんなに楽しいハイテンションな物語だとしてもBGMがとてつもなくどんよりと暗い映画の違いみたいな感じ。
それだけでベースの見方が変わってくると思うんだけどそういう感じ。
きっと自分は"わがまま""感謝できてない""言い訳"
とか表現されてしまうのだろう。でも知って欲しい。そういう人間もいるのだと。
頑張るには、生きていくには芯の何故か泣け叫んでいる心を直視し続けるには辛すぎる。だからまた蓋をして気付かないふりをするしかないんだ。
今日もとっても楽しい一日だったけど、あの蟻のように小さい程にくだらない起きた嫌なことを呪み殺したい感情の方が強い。
もし誰もが「それはとっても嫌なことだったね」と言えてしまう位の事が私に起こったらどうなってしまうのだろう。心の悲しみが脳の怒りに加担して実行してしまうのではないか。自分を殺すか他人を殺すかという【終わり】という終止符を打つために。
馬鹿なヤツ