暖かく生きたい生存日記

執筆/エッセイスト/心理学/ アダルトチルドレン/旅行/小さな幸せ/

人の本質。

私はある日から私に蓋をして生きてきた。

蓋をして生き長らえてきた。

 

よく母は「あなたは私が決めてきたこと全て嫌なんだよね!否定するんだよね!」と言う。

なので「何を決めて否定したの?」と聞く。すると1.2個しか言葉で出てこない。しかもそれは全て私が決断したこと。(金を出してくれたということが"決めた"に当てはまるのならそうかもね。)

 

あの人の潜在意識の中で、私の人生は全てあの人、自分が決めたものだと漠然と思っているのだろう。だから私が私を否定するとそういう言葉が出てくる。適当な浅はかな言葉。

 

 

人生は小さなたくさんの決断が数え切れないほどあり、その中で精神的な覚悟、決意がある。そんな決断に見向きもせず、ただ自分の所有物である認識からその所有物かま自己否認していたら、全てを決めた自分自身、飼い主のせいだと漠然と思うのだろう。頭が悪過ぎる。私の人生。あの女の決めた事なんてひとつもないのに。

 

私は私を否定したことは無い。

ただ否定というか、拒絶が正しいのだと思う。

 

1つ否定という、安易な言葉で表現出来ることをあげると、

何度もあの腐った毒に汚染された人間が、「母親」として存在していることに気付いているにも関わらず、母親としての役割を求めてしまい、このような話を何度も繰り返してしまう所だと思う。

 

私は私の人生を生き、好転させてきた。

親のせいで得られなかったもの

沢山諦め、吹っ切れてその方向で努力して来た。

そして今がある。

それは私の力であり、あの女のものでは無い。

 

毒に汚染されると、1番近い自身の子どもには特に所有物のような気持ちになるのだと思う。表に出していなくても、潜在意識が情けない。そんな汚い血を受け継いだ私は蓋をして生き、自分を根本的に拒絶しているというのが正しい。

 

"この会話何回したっけ???"

あの女の解毒は不可能。そんな人間の解毒を期待し、上辺だけで放たれた言葉に喜びたいために何度もこの文章を送り続ける。しかしまた数ヶ月後この薬は消え去り毒に染った手で汚染しようとしてくるのだろう。いつまでも私が立ち止まり、不安定で何かに依存しているとでも思っているのだろう。きっと蓋をしていなかったらそういう人間でもあり、まだ蓋が締まり切っていない時は、究極に死にたくなる時もある。でも受け入れて覚悟を抱え生きている。親を人として見ることを諦め、自分にとって生きやすくなるように道具として見ている。舐め腐った同じ場所で同じ会話をしているのはあの女だけだ。

 

幸せだと言えば「私のおかげ」とでも思うのか。

あーあ、腹立たしい。

生きやすそうで羨ましい。