暖かく生きたい生存日記

執筆/エッセイスト/心理学/ アダルトチルドレン/旅行/小さな幸せ/

ハリネズミな私

最近自分がハリネズミかのように感じる。

親しげな笑顔で来る者拒まず異性を誘き寄せて、
近付くと冷たい針で追い払っちゃって攻撃する。


それでもその針が上手く当たらないほどに近くなると、拒絶しつつも居てくれることが嬉しくて、
同時に言葉が止まらなく出てくるようになって、
制圧してコントロールしないと気が済まなくなる。

だんだんみんないなくなり、時間が空くと怒りに飲み込まれて狂った状態だったと我に返る。
分かってるのにスイッチが入ると止まらない。
わざと相手を遠ざけて安心しているのだと思う。

多分これってどんなに感情を伝えても、伝わらなかった父親を異性に投影し続けていて、少しでも伝わると、期待が必要以上に生まれてしまう。

そして親が子どもの私に掛けてきた、言葉の呪いを投影した相手にも同じようにかけようとするんだと思う。

寂しい。けれどこれが私なのだ。

爆弾のようなハリネズミ。

答えに理由はいらない

最近違和感を抱く。

 

私の周りの友人は、私が嫌だと言ったら「それは嫌だね!!」

嬉しい!と言ったら「それは嬉しいね!」

理由を簡単に説明しただけなのに同情してくれる。

 

30代になるまでは人は、

自分のことにしか興味がないから理由が薄くてもとりあえず同情して、

わかった気になっているんだと思っていた。

自分を開示すればするほど、同時に「わかった気になるな!」という怒りが発生していた。

いわゆる面倒臭い人間だったし。わかっていても止まらないこの不信感。

だからこそ仲良くなると人が嫌いになってしまう回避型。

 

でも大人になって知った。人は心からの友達になれると、

それが本当に嬉しいことなのか悲しいと思う価値のあることなのか説明しなくても、

その感情自体が尊重されるのだ。相手が抱いているその感情が全て正しいのだ。

感情とはそういうものなんだと同時に知ることになった。

 

私は幼い頃から親に対してなぜ苦しいのか、辛いのかわかってもらうためには

理由を事細かく説明しなければいけなかった。それも親の基準に寄せないと

「そういうものだから我慢しなさい」となる。それが普通だったし、

わかってもらうには努力が当たり前だったのだ。

 

でも違くて良いらしい。

私という人間が、悲しいと思ったら悲しいし、寂しいと思ったら寂しい、

それが正解なのだ。そしてその感情は尊重されるべきであり、

受け取った相手が同じ状況になった時に100%同じで無くても

寄り添うものなのだ。そこに支え合いが存在する。

 

だから私は今後決めた。

友達が口に出した感情は否定しない。

尊重し包み込む。それは自分が発生した感情も否定しない。

この気持ちは本当なのかと考えなくていい。

そのままが今私から発生した唯一無二の感情なんだ。

 

 

お父さんのせいだ

初めて恋愛をしている。

初めて人を好きになった。

でもその人はもう誰かのものだった。

それでもこっちに来ようとする。

私はそれを押しのける。苦しい。

 

 

お父さんは私が意思表示出来なかった小さな小さな時、海を見ながらいつも私に言っていた。

 

「お前の家はどこだ?」

 

そして私は父がひとりで住む家の住所を言う。

そしてその次に、

 

「お前の苗字はなんだ?」

 

私は普段学校で使っていない幼稚園までの苗字を楽しそうにニコニコしながら伝える。

 

そうするとお父さんは褒めてくれる。

すごく嬉しかった。同時に自分が分からなくなっていた。

でもすごく嬉しくて今でも写真のような記憶のひとつ。

 

でも、

わたしがトラウマを叫ぶようになって、

自分の悲しみを伝えるようになってからは、

全て拒絶し始めた。

 

あんなにここにいて欲しそうだったのに。

 

30kgになって学校に行けなくなって、

お父さんと一緒にいたいと泣きついても

「お前とは一緒に住めない」と一点張り。

めんどくさくなった途端拒んだのだ。

私の心より周りからの目を気にして、

 

大人になって悲しくて家に行くと、

「ここは俺の家だから無断で来るな」というようになった。

 

父が好きだったのは自分の母親の孫である私であって私じゃない。

父の後ろを黙ってくっ付いて家族を感じられる私であって、心のある私じゃない。

 

人は皆都合が悪くなると突き放す。

私が私を伝えれば出ていけと拒絶する。

 

その分少しでも受け入れてもらえると、

私は過剰に喜び、"もっともっと!"と尽きない欲を、満たされない欲を相手に押し付ける。

 

そんな自分を分かっているから、私は彼の子どもまでの不幸の責任を背負う覚悟がない。私だけの物にならない限り首を絞め続けるだろう。

この満たされなかった子ども心という爆弾を常に抱えていることを実感する。

 

死にたい。寂しい。

だれかずっと私を抱えていて。

お願い、暴れる私を抱き締めて。

これ数年前も言ってたけど

私の人生の「ベース」の話しね。

 

もうね、自分の床、ベースに「しんどい」「だるい」「恐れ」がもう綺麗に”引かれちゃってるから、その上に一時的な「楽しい」「幸せ」「嬉しい」の出来事を乗せても、その時間が過ぎればまたベースだけになるの。

なぜだろうね。勿体ないよね。分かってるのにベースの引き直しがね、出来ないのよ分からないのよ。

 

世の中にはさ、それが逆な人が多いように見えるの。

例えベースが「楽しい」「幸せ」「嬉しい」じゃなくても、最低でも「普通」「安全」が引かれてるんだよね。だから今のモチベーション(楽しみ)何?って聞いてくるの。何も無ければ、死にたいとは思わないんだってみんな。

出来事として乗せられた「ネガティブ」な要因が多いと、悲惨な物語になるんだと思う。大変なことがあったねって。

 

私は何もないのにベースがネガティブなの。分かってんの。どんよーりしてるのが当たり前。その引き直しができないし、引き直してしまったら怖いっていうのもあるんだと思う。やったことないからさ。

 

幸せに感謝出来てないとか、楽しいと思える感性がないとかそういう風に表現されるのかもしれないけど、上に一時的に乗った楽しみにはちゃんと感謝してるし楽しい!って思えるし嬉しいよ。

でも、なくなるじゃん。その時間って。過ぎるじゃん終わるじゃん。

 

なんか疲れたんだよ。

みんなの何も感じてない「普通」の毎日→常に考えないと怖い疲れただるい終わる

なんだよ、リラックスしてるような繰り返す毎日でもみんなは考えて戦略錬れてるやん。って、進んでるやんって。私にはそう見えるし、それが辛いんだよ。

 

みんなとベースが違うな中、突然みんなと同じような「ネガティブ」な要因が訪れることが毎日怖くてたまらない。

みんなはイベントとして捉えられるかもしれないけど、私は浸ってしまうから、人生のベースに沈み込むようにしんどさが気付かぬうちに巨大化してしまうから。

 

排除するには防衛して、やっつけないといけない。染み込ませてこようとする人間を殺さないといけない。

 

みんなと対処法がちょっと違うの。

脳が作られる段階の幼少期にしんどい世界が綺麗に作られたんだととても実感する。同じ世界を生きていても人それぞれ見方が違うんだ。

 

だから私は自分のレールで他人を評価をしないし、する人を軽蔑する。少数派でさ、苦しいからこそ、私の見てる世界はきっと本当は息がしやすくて何も考えなくてもウキウキできるのがほとんどなのかもしれないと180度逆の感覚に期待してキャッチして生きてる。すごいでしょ、この脳みそ持ってるとさ、人生人100倍くらいハードだよ?ウケるよね、みんな笑っていて、幸せでいて、ダイキライ^_^

 

終わり

 

家族

わたしは家族が嫌いだ。

母も父も祖母も大嫌いだ。
憎い、私ばかりどうしてこんなに苦しみを抱えて生きていないといけないのか、お前らのせいだ。腹が立つ。大嫌いだ。悔しくて悲しくて。


でも母の作る料理は世界一好きだ。
父は自慢だ。なんでも出来る。
祖母は優しい。逞しい。健康でいて。

 

みんな、みんな、
自分の悲しみに気付かないで生きていて欲しい。

 

苦しい。

 

同じ事をしてても大変さは180度違う

私はさ、父親のことを尊敬してるし、母親のことも尊敬してた。でも精神科で私は「虐待児」と表現される。

 

私の周りの人だけでも知っていて欲しいのは、いくら楽しそうに笑っていても、いくら頑張れていてもその人は計り知れない、あなたには耐えられない苦しみを抱えている可能性を常に考えて欲しいし、同じ生活をしていてもそれがとてつもなく苦痛と感じる人もいれば楽勝と思う人がいると言うこと。それはその人の特性でもあり、どちらがすごいという訳ではないということ。

 

 

だから過半数が"当たり前"に出来ている日常が出来ていない人がいても、過半数の勝手な物差しで「怠け者」と勝手に決めつけないで欲しいということ。

 

「メンタルが弱い」

そんな不鉄砲な雑な表現を使う人にならないで欲しい。

鈍感であることがそんなに素晴らしいこと?人の言葉を跳ね返す強さは、その人のための強さであって、他人が強要するものでは無いということを忘れていない?

 

ひとつの言葉でも、しっかりと吸収して、経験から思考を巡らすという人間の思考数は、人の数だけ生きてきた分だけの種類がある。

 

一人一人抱えているものがあって、その支障がどこに出てくるのかは、人それぞれ。ただその支障がその人の生き方にそぐわないから苦しん出る人もいるし、支障が大きすぎて叶えたい道に進む大きな大きな石となっている人もいる。

 

だから、あなたの生きてきた世界だけの知識で、頑張れてないあの人をこれ以上、好き勝手追い込まないで欲しいし、追い込みたいとか、どこかで馬鹿にする気持ちを持っているあなたは休む必要があるということに気が付いて欲しい。

 

人が共存して生きているとはそういうことでしょう。

 

 

社会は優しかった

社会は優しかった。

思ったよりも優しかった。

お金は簡単に稼げるし。

 

でも私はずっと怒っていた。

社会に対して怒っていた。

止められない、怒り。

 

死にたいほどに。

怒りを手放せば私は殺される。