暖かく生きたい生存日記

執筆/エッセイスト/心理学/ アダルトチルドレン/旅行/小さな幸せ/

お父さんのせいだ

初めて恋愛をしている。

初めて人を好きになった。

でもその人はもう誰かのものだった。

それでもこっちに来ようとする。

私はそれを押しのける。苦しい。

 

 

お父さんは私が意思表示出来なかった小さな小さな時、海を見ながらいつも私に言っていた。

 

「お前の家はどこだ?」

 

そして私は父がひとりで住む家の住所を言う。

そしてその次に、

 

「お前の苗字はなんだ?」

 

私は普段学校で使っていない幼稚園までの苗字を楽しそうにニコニコしながら伝える。

 

そうするとお父さんは褒めてくれる。

すごく嬉しかった。同時に自分が分からなくなっていた。でもすごく嬉しくて今でも写真のような記憶のひとつ。

 

でも、

わたしがトラウマを叫ぶようになって、

自分の悲しみを伝えるようになってからは、

全て拒絶し始めた。

 

30kgになって学校に行けなくなって、

お父さんと一緒にいたいと泣きついても

「お前とは一緒に住めない」と一点張り。

父は、私の心より周りからの目を気にした。

 

大人になって悲しくて家に行くと、

「ここは俺の家だから無断で来るな」というようになった。

 

父が好きだったのは自分の母親の孫である私であって私じゃない。父の後ろを黙ってくっ付いて家族を感じられる私であって、心のある私じゃない。

 

人は見な都合が悪くなると突き放す。

私が私を伝えれば出ていけと拒絶する。

 

その分少しでも受け入れてもらえると、

私は過剰に喜び、"もっともっと!"と尽きない欲を、満たされない欲を相手に押し付ける。

 

そんな自分を分かっているから、私は彼の子どもまでの不幸の責任を背負う覚悟がない。私だけの物にならない限り首を絞め続けるだろう。

この満たされなかった子ども心という爆弾を常に抱えていることを実感する。

 

死にたい。寂しい。

だれかずっと私を抱えていて。

お願い、暴れる私を抱き締めて。

これ数年前も言ってたけど

私の人生の「ベース」の話しね。

 

もうね、自分の床、ベースに「しんどい」「だるい」「恐れ」がもう綺麗に”引かれちゃってるから、その上に一時的な「楽しい」「幸せ」「嬉しい」の出来事を乗せても、その時間が過ぎればまたベースだけになるの。

なぜだろうね。勿体ないよね。分かってるのにベースの引き直しがね、出来ないのよ分からないのよ。

 

世の中にはさ、それが逆な人が多いように見えるの。

例えベースが「楽しい」「幸せ」「嬉しい」じゃなくても、最低でも「普通」「安全」が引かれてるんだよね。だから今のモチベーション(楽しみ)何?って聞いてくるの。何も無ければ、死にたいとは思わないんだってみんな。

出来事として乗せられた「ネガティブ」な要因が多いと、悲惨な物語になるんだと思う。大変なことがあったねって。

 

私は何もないのにベースがネガティブなの。分かってんの。どんよーりしてるのが当たり前。その引き直しができないし、引き直してしまったら怖いっていうのもあるんだと思う。やったことないからさ。

 

幸せに感謝出来てないとか、楽しいと思える感性がないとかそういう風に表現されるのかもしれないけど、上に一時的に乗った楽しみにはちゃんと感謝してるし楽しい!って思えるし嬉しいよ。

でも、なくなるじゃん。その時間って。過ぎるじゃん終わるじゃん。

 

なんか疲れたんだよ。

みんなの何も感じてない「普通」の毎日→常に考えないと怖い疲れただるい終わる

なんだよ、リラックスしてるような繰り返す毎日でもみんなは考えて戦略錬れてるやん。って、進んでるやんって。私にはそう見えるし、それが辛いんだよ。

 

みんなとベースが違うな中、突然みんなと同じような「ネガティブ」な要因が訪れることが毎日怖くてたまらない。

みんなはイベントとして捉えられるかもしれないけど、私は浸ってしまうから、人生のベースに沈み込むようにしんどさが気付かぬうちに巨大化してしまうから。

 

排除するには防衛して、やっつけないといけない。染み込ませてこようとする人間を殺さないといけない。

 

みんなと対処法がちょっと違うの。

脳が作られる段階の幼少期にしんどい世界が綺麗に作られたんだととても実感する。同じ世界を生きていても人それぞれ見方が違うんだ。

 

だから私は自分のレールで他人を評価をしないし、する人を軽蔑する。少数派でさ、苦しいからこそ、私の見てる世界はきっと本当は息がしやすくて何も考えなくてもウキウキできるのがほとんどなのかもしれないと180度逆の感覚に期待してキャッチして生きてる。すごいでしょ、この脳みそ持ってるとさ、人生人100倍くらいハードだよ?ウケるよね、みんな笑っていて、幸せでいて、ダイキライ^_^

 

終わり

 

家族

わたしは家族が嫌いだ。

母も父も祖母も大嫌いだ。
憎い、私ばかりどうしてこんなに苦しみを抱えて生きていないといけないのか、お前らのせいだ。腹が立つ。大嫌いだ。悔しくて悲しくて。


でも母の作る料理は世界一好きだ。
父は自慢だ。なんでも出来る。
祖母は優しい。逞しい。健康でいて。

 

みんな、みんな、
自分の悲しみに気付かないで生きていて欲しい。

 

苦しい。

 

同じ事をしてても大変さは180度違う

私はさ、父親のことを尊敬してるし、母親のことも尊敬してた。でも精神科で私は「虐待児」と表現される。

 

私の周りの人だけでも知っていて欲しいのは、いくら楽しそうに笑っていても、いくら頑張れていてもその人は計り知れない、あなたには耐えられない苦しみを抱えている可能性を常に考えて欲しいし、同じ生活をしていてもそれがとてつもなく苦痛と感じる人もいれば楽勝と思う人がいると言うこと。それはその人の特性でもあり、どちらがすごいという訳ではないということ。

 

 

だから過半数が"当たり前"に出来ている日常が出来ていない人がいても、過半数の勝手な物差しで「怠け者」と勝手に決めつけないで欲しいということ。

 

「メンタルが弱い」

そんな不鉄砲な雑な表現を使う人にならないで欲しい。

鈍感であることがそんなに素晴らしいこと?人の言葉を跳ね返す強さは、その人のための強さであって、他人が強要するものでは無いということを忘れていない?

 

ひとつの言葉でも、しっかりと吸収して、経験から思考を巡らすという人間の思考数は、人の数だけ生きてきた分だけの種類がある。

 

一人一人抱えているものがあって、その支障がどこに出てくるのかは、人それぞれ。ただその支障がその人の生き方にそぐわないから苦しん出る人もいるし、支障が大きすぎて叶えたい道に進む大きな大きな石となっている人もいる。

 

だから、あなたの生きてきた世界だけの知識で、頑張れてないあの人をこれ以上、好き勝手追い込まないで欲しいし、追い込みたいとか、どこかで馬鹿にする気持ちを持っているあなたは休む必要があるということに気が付いて欲しい。

 

人が共存して生きているとはそういうことでしょう。

 

 

社会は優しかった

社会は優しかった。

思ったよりも優しかった。

お金は簡単に稼げるし。

 

でも私はずっと怒っていた。

社会に対して怒っていた。

止められない、怒り。

 

死にたいほどに。

怒りを手放せば私は殺される。

自分が運転手の「幸せ」はポジティブの詰め合わせじゃない

わたしはさ、どんな状況でも明日来ないといいなーっ、時間止まらないかなー。死にたいなーって思っちゃうの。

だからさ、周りの人にも割とネガティブなこと多分言っちゃうんだよねいつも迷ってるような。するとさ周りは優しいから「幸せになって欲しい」みたいなことを言ってくれるんだけど、そこの中には良い彼氏・パートナーがいればいいねみたいなニュアンスが大きかったりしてさ、なんかずーっと「じゃない感」が凄いというか、人生の選択肢って無数にある中で何を選んだら楽しいのかもっと幅広く考えたいんだけど、

 

他人次第、近い人次第、パートナー次第で迷走しているのとは、また違うんだよね。自分が収まる場所、選択に自信を持てないのはなぜなのか。

 

心が幸せや人生を楽しむ力が脳の伝達物質によって奪われつつあるから。(例えば躁鬱、鬱、とは

そういう病気)

 支えてくれる人とか、そういうんじゃなくて、頭が元気になるにはどういう選択があるのかみたいなもっと違う観点から色々と考えたいんだよ毎日。

 

これはわたしは鬱っぽい症状を抱え続けているから得た視野の広さでもあるから誇ってる。し、でもそれは鬱っぽくなくても私の周りの友達には考えられる人でいて欲しいんだよね。「依存しない・自分が運転手である生き方」について改めて考えて欲しいんだよ。

 

それにさ、「幸せになって欲しい」って言われると、今ある「幸せ」を否定されているような感覚になるし、「幸せ」の中にある「迷い」「苦しさ」は否定されなければ行けない対象なのかな?って思ってしまうの。違うよね。多分「幸せ」ってポジディブな要素だけじゃないからこそ「幸せ」なんだと思うんだ。

 

もう1回改めて、話したい。

ドラマなんて映画なんて物語なんて作れない

漫画やドラマを観て、主人公たちが立ち向かったり、最終的に幸せな結末に至る瞬間に感動することは誰にでもあるだろう。でもね、現実世界はちょっと複雑だ。

 

例えば、有名なアスリートや成功したビジネスマンたちだって、成功の裏には多くの努力と試練が隠れているんだ。マイケル・ジョーダンは高校時代、バスケットボールのチームから切られ、スティーブ・ジョブズは自身の会社をクビにされたこともあった。しかし、さらに深刻なのは、現実では幸せな結末が保証されているわけではないということ。一部の人々は逆境に立たされ、絶望の淵に追い込まれ、自殺や大損を経験し、社会的にも経済的にも弱者として苦しむこともある。そして、この世界は見えない残酷さにも満ちている。

 

だからこそ、精神力が何よりも重要だ。精神的な強さは、私たちが逆境を乗り越え、現実の中で成功をつかむための力強い要素なのだ。精神力とは、困難に立ち向かい、挫折から立ち直る力、ストレスや圧力に耐える力のことを指す。

 

優秀な人が本当に優秀なのか、それはただメンタルが強く意志が強いだけなのではないか、という点も考えるべきだ。成功した人々の共通点は、彼らのメンタルの強さであり、逆境に負けずに努力を続けた意志力なのかもしれない。この複雑な現実を理解することは、私たちにとってさらに重要だ。人間の心理は複雑で多様であり、幸せや成功は一つのストーリーに縛られるものではない。心の健康や精神的な強さを育むことは、成功への鍵としてだけでなく、より豊かな人生を築くための重要なステップでもある。

 

最終的に、漫画やドラマのような完璧なストーリーとは違う現実の中で、現実の深刻さと人間の心理の複雑さを理解し、精神的な強さを持つことが私たちに希望をもたらす道なのだ。成功や幸福は努力と精神力を持ってこそ手に入るものであり、私たちは現実の逆境に打ち勝ち、自身の物語を築く力を秘めている。