ナマケモノの私が真面目過ぎると言われた話
私はうつ病になったことがある。
うつは再発しやすいと言われていて、たまに私も病までとはいかないが顔を出すことがある。
そんなこんなで「責任」「約束」「規則」などと言った言葉に縛られるのが未だに怖い。
体調が安定せず、他者と関わる上で自分に自信を持てないのだ。。
しかし実際その言葉から逃れようとした所で私の求める本来の幸せな自由は手に入らない。
お金もなければ、自分を必要としてくれる人さえ現れないのだ。
人間の本来の幸せとは、誰かに必要とされた時と本で読んだことがある。
私だって逃げていたらいけないと分かっているのだけど、とてもとても怖いのだ。
だから長らく人との接触を最低限にし、枠に他人が入ってこないよう、
未だに「責任」「約束」「規則」に縛られないように生活している。
私はずっと自分をナマケモノの怖がりのやりたくない事はやらない出来ない、なめたわがままな奴
、だと思って生きていた。そしてどこか「変わりたい」という感情もセットで(今も思っている。頭では...)
正直そう思いながら生きるのはとても悲しく辛いものだ。
だけどどうしても何かに縛られ拘束されるのが怖いのだ。
自由といえど、宿題が終わっていない8/31が続いている感じ。笑
しかし今日母に言われた。「あんたは真面目過ぎる」と
私は驚いた。そんな風に思ったことも無かったから...
「じゃあ、みんなは不真面目なの?不真面目なのに悩まず毎日予定を入れても上手くいってるの?」
そのままストレートに疑問をぶつけた時、
「みんなどれだけ社会や物事をもっと利用出来るか考えてるんだよ」
そう言われた。正直楽になった私がいた。
「この人の期待に応えないと」「失望されたくない」「凄いやつって思われたい」
「ダメなやつって思われるくらいなら初めから関わりたくない」「バカにされたくない」
私の感情は常に相手の感情であり、自分では操作できないものばかり。
そして勝手にネガティブになり、客観的に見ると私の戦略や意思はどこにもなかった。
(心の声)「私可哀想じゃない?!?笑 」
「そんなこと考えていなかった!」「考え過ぎじゃない?」と友人に言われることも多いのだが、
本当にその通りなのかもしれない。もっと自分の生きやすさを優先しても良いのかもしれない。
相手にどう思われるとか、期待に応えるとか、そうじゃなくて
「期待に応えられなかったら期待した相手が悪い」
そのくらいに思っても良いのかも。
*1:無理なら嘘でもつきながらさ隠れていた方がマシだ...