心だけが悲しい時
頭ではとても幸せで、頭では感謝するべき環境にいると分かっている。
特に嫌なことがあったわけではない、傷つけられた出来事があったわけではない。
なのに何故かとても哀しくて今にも声を出して泣くことができる。そんな状況によく陥ります。
理由は分からない、幸せなのにとっても悲しい。心が悲しくて寂しくて・・・
皆さんはそんな時ありませんか?
私はそんな自分にしか説明出来ない寂しさに陥った時、「今」を生きていないと実感します。
無意識に違うことを考えていたり、無意識に何か心配事や悩みを頭のどこかで考えている。
この無意識は頭では正式に理解していないのでとても怖いものです。
目の前の幸せを噛み締めているようでか噛みしめられていない。
いわゆるマインドがここにない状態。これは本当に無意識の頭の使い方の癖らしい。
スマートフォンが普及したくさんの情報が飛び交うことが当たり前になった今、
人間はマインドフルネスの状態を保つのが難しくなったのだとか。
常にあらゆることを考え、脳みそが常にフル回転しているので脳みそが休まらず、脳みそが疲れ
からだは疲れていないのになんだかだるい・・・。そんなように気疲れを起こしやすくなります。
また、私のようにHPS気質な方は元々たくさんのことに気付き脳みその情報量はパンク寸前。
常にいろいろな情報で頭が動き、悲しさまでもコントロール出来なくなっているのです。
そうやって客観的に自分を見たとき、
「最近デジタルデトックスする機会を作れていなかったな。」
「先の予定を先回りして考え過ぎていたなあ」
「未来の予測不能な無意味な心配に駆られて夜中まで寝ることができず睡眠時間足りてなかったなあ」などと考えることができるようになりました。
今酸素を吸って吐いて、パソコンの文字を打っている。
これは生きている作業の一つです。このことだけに集中している私は今を生きています。
意識して、意識して目の前の一つのことに集中する。
それは今の社会で簡単なようで、とても難しいことです。
心の悲しみも私の持ち物だけれども、楽しむ時は楽しむ。幸せな時は幸せを噛みしめる。ことがよりできるように、
同時進行をやめる。
ながら行動をやめる。
また1番にネットやニュースを見ない。共感力を無駄に使わない。
今生きている動作だけに全力になる。そうゆう当たり前の少しの意識をしていこうと思った本日でした。